大阪城南 真田丸 大應寺浄苑

大應寺浄苑の特徴 ABOUT

文禄(1593~6)年中 開山
約400年の歴史を刻む由緒ある大應寺

歴史と共に歩んできた大應寺には様々な足跡が残されています。偉人・文人の墓所でもあり、人々に慕われ続けている温もり溢れるお寺です。

偉人墓所

偉人墓所

大應寺境内には偉人・文人たちのお墓もあります。
真田丸ゆかりの地は、さまざまな歴史の彩りを色濃く残しています。
●木村蒹葭堂[きむらけんかどう](1736~1802年)
江戸中期を代表する文化人であり、幅広い人脈があった。現在「浪速の知の巨人」と称される。
●森川竹窓[もりかわちくそう](1763~1830年)
書家・画家・篆刻家と多才な顔を持つ佳人。
●香川素琴[かがわそきん](1810年寂)
森川竹窓の妻であり、当時は珍しい女性画家。
●香川氷仙[かがわひょうせん](不明)
素琴の妹である氷仙もまた女性画家であり、高い名声を得ている。
●稲垣休叟[いながききゅうそう](1770~1819年)
茶人。表千家8代啄斎(千宗左)に師事し、蒹葭堂、竹窓も茶会で交流していた。

「せきのおんばさん」のお堂

「せきのおんばさん」のお堂

大應寺境内のお堂には、閻魔大王の妹である「奪衣婆(だつえば)」がお祀りされています。この奪衣婆、三途の川をわたった先の関所で亡者の生前の業を量っていたことから「せきのおんばさん」と呼ばれていました。また、関所の「関」と「咳」の語呂合わせで江戸時代より今日まで、百日咳、結核など疫病封じの信仰で人々に親しまれています。見た目は怖い顔をしている「おんばさん」ですが、実は心優しい菩薩様の化身であり、現在も新型コロナの終息を願う多くの方が訪れています。

大應寺本堂

大應寺本堂

木造二層建ての本堂は、昭和20(1945)年3月14日の 大阪大空襲により焼失。 戦後、昭和47(1972)年に再建されました。

深い歴史を刻む寺町 餌差町

深い歴史を刻む寺町 餌差町

元禄4年(1691年)の新撰増補大坂大絵図にもある古町名「ゑさし丁」に由来するといわれ、真田幸村が 真田丸を築いた砦の地にあたる寺町です。

大阪の中心 LOCATION

恵まれた交通アクセスと充実した近隣施設
「まちなか霊苑」と呼ぶにふさわしい環境

大應寺は、その立地から交通アクセスにも恵まれています。
JR、大阪メトロ、近鉄各線の6駅から徒歩圏内に位置しておりバス停留所からもほど近い、まさに「まちなか霊苑」と呼ぶにふさわしい場所です。阪神高速のインターからも近く、専用駐車場も完備していますので、郊外や他府県から、またどうしても車でないと移動できないという場合でも、お気軽にご来苑いただける環境が整っています。

歴史の中心地 ©Osaka Convention & Tourism Bureau

歴史の中心地

大阪城下、真田丸ゆかりの歴史深い寺町。終の場所に相応しい、時代を見守ってきお寺が並ぶ、希少な選ばれた場所。

近隣6駅、駐車場20台  

近隣6駅、駐車場20台

利便性の高い市内中心部、専用駐車場併設。JR、大阪メトロ、近鉄各線の駅近く、ご家族が集まりやすい新たな憩いの地。

安心・安全な立地 出典:大阪府防災会議南海トラフ巨大地震災害対策等検討部会
平成25年度公表資料

安心・安全な立地

合同納骨碑や柱などは全て耐震対策を施しています。また、ハザードマップでも証明されていますように、南海トラフ地震が起こった場合も浸水することはありません。

充実した近隣施設

大阪城をはじめ、真田山旧陸軍墓地や、真田山三光神社など歴史ある場所は もちろん、真田山公園や天王寺公園などの自然を感じられる場所、黒門市場 や空堀商店街など大阪らしい活気あふれる場所、様々な魅力あふれるところに 「大應寺浄苑」はございます。

アクセス

車でお越しの場合
*阪神高速13号東大阪線「森之宮出口」より約10分
*阪神高速13号東大阪線「法円坂出口」より約10分
*阪神高速1号環状線「道頓堀出口」より約10分

電車・バスをご利用の場合
*大阪メトロ 長堀鶴見緑地線「玉造駅」徒歩約7分
*JR環状線「玉造駅」徒歩約10分
*大阪メトロ 谷町線「谷町六丁目駅」徒歩約12分
*JR・近鉄「鶴橋駅」徒歩約12分
*近鉄「大阪上本町駅」徒歩約15分
*大阪シティバス18号「天王寺スポーツセンター」停留所そば